上新城はJR南武線「武蔵新城駅」の北口側に位置する町会です。
歴史に見る「新城」
その昔 このあたりは武蔵国橘樹郡稲毛領にあり
1611(慶長16)年 二ヶ領用水が完成し次第に開けた農村地帯である。
このあたりの歴史は浅く中原街道や大山街道に挟まれ開拓は比較的に遅くあまり歴史的な物は何も無い。
上新城で一番古く存在する物は安養寺にある墓石??である。
このあたりの劇的な変化は南武線がとおる昭和2年まで待たなくてはならない。
当時は新城全体で18軒の農家があるだけでのどかな農村であったようです。
1920年(大正9年) 多摩川砂利鉄道として川崎町 – 稲城間の鉄道敷設免許を取得。 南武鉄道設立。
1927年(昭和2年) 南武鉄道線川崎駅~登戸駅間の開通時に、武蔵新城停留場として開業。
1944年(昭和19年)南武鉄道線が国有化。駅に昇格し、国鉄南武線の武蔵新城駅となる。
1987年(昭和62年)国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
1990年(平成2年) 高架駅化。
当初南武線は「宮内」の方を通る予定が住人の反対にあい、当時新城に住む人たちが自分の土地に誘致し新城に鉄道を通したといいます。
向河原-小杉駅間が異常にカーブしているのはその為と云われている。
もし鉄道がこの土地を通らなかったら、ずいぶんと風景を変えている事と思います。
前人の先見者に感謝です。
戦時中、この辺りは富士通、日本電気、日本工学、など軍事産業が進出し、特に新城は中島航空の部品を作る会社が出来、人の出入りが盛んになってきました。
現在のはってん会の通りは、新城駅から今のグランアルト(元日本鋼管社宅)をまっすぐ通す道で新しく(昭和18年ころ)作られた道です。
その為、終戦直前にはこの辺りも空襲があり何軒か被災したそうです。
戦後、中島航空の土地は日本鋼管に買い取られ社宅になりました。
その為、今のはってん会通りは昔 鋼管通りと云われてました。
当時の北口は新城地域で一番栄えていました。駅舎も北口に向いていて、交番も北口側でした。
昭和30年代になると南口の方にも店が出来はじめ、新城全体が活気付きました。
この頃になると商店街や町会等の自治体が出来、上新城町会もその頃出来ました。
初代会長 田中会長 昭和29年~昭和63年 17期34年
二代目会長 井上会長 昭和63年~平成4年 2期 4年
三代目会長 石井会長 平成3年~平成19年 8期16年
四代目会長 池田会長 平成19年~平成23年 2期目
五代目会長 井上会長 平成23年~平成25年 1期
六代目会長 沓掛会長 平成25年~平成26年
七代目会長 石井稔会長 平成28年~令和5年
8代目現会長 吉田宣朗 令和5年~
上新城町内会は (平成17年国政調査調べ)
上新城町内会 世帯数 総人口 男 女
上新城1丁目 671 1,316 717 599
上新城2丁目 951 1,441 776 665
新城北口はってん会 新城北口1番街 西友等多くの商店があり生活するには住みやすい地域です。
ちなみに、新城駅や高架下も住所は上新城である
最新 2022年(令和4年)現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。